この世界のすぐ隣に、もうひとつの世界があるとしたら
夜道を歩いていると、ふと、背後が気になることがある。
誰かに見られているような気がする。
足音がしたような気がする。
誰かとすれ違ったような気がする。
そんな気がする、気がするだけなのか。
振り返っても誰もいない。
街灯が路面に長い影を落としているだけ。
風もない。
人の姿もない。
理性は「気のせいだよ」とかたづける。
そうなのかもしれない。
でも、その「気のせい」と呼ばれたものは、いったい何なのだろう。
僕たちは、この世界に生きている。
見えるものがあり、触れるものがあり、聞こえるものがある。
原子があり、思考もある。
そして僕たちは、それらをまとめて「世界」と呼んでいる。
一枚の3次元の空間だ。
本当に世界は、僕たちが見えているものだけなのだろうか。
もし、この世界と同時に、
もうひとつの世界嫌、無数の世界が存在していたら。
僕たちの世界とは少し違うけれど、完全に別の場所でもない。
どこか遠くにあるのではなく、
この世界と重なりながら存在している世界。
普段は見えないし、触れない。
声も届かない、もう一枚の世界。
だけど僕たちは、その存在に気づかない。
けれど、ときどき。
ほんの一瞬だけ、
二つの世界が重なる場所があるとしたら?
スマホで 文字を打ち間違えたような些細なミスみたいに。
そんな風に世界が交わる時があるのだとしたら。
世界は一つだけなのか
二枚の透明な写真を想像してみてほしい。
一枚目には、僕たちの世界が写っている。
もう一枚には、僕たちには見えない別の世界が写っている。
二枚を離して見れば、それぞれの写真しか見えない。
ところが、二枚を重ねてみる。
するとどうだろう。
本来そこには存在しないはずの影が、
一瞬だけ、
こちらの世界に現れる。
もいかすると、おばけと呼ばれているものは、
パラレルワールドとの偶然的な交差で見えてしまった違う世界の住人なのかもしれない。
死んだ人の魂が「あの世」から戻ってくるものではない。
ほんの少しだけこちら側と重なった。
ただ、それだけなのかもしれない。
「あの世」
死後の世界のことを指して
僕たちは「あの世」という言葉を使う。
でも、「あの世」はどこにあるのだろう。
空の上?
地下?
遠い宇宙?
それとも、死んだ人だけが行ける場所?
もしそうではなかったら。
もし「あの世」が、
今この瞬間も、僕たちの世界と一緒に存在している世界
だったらどうだろう。
僕たちがこちら側を生きている間、
向こう側にも、向こう側の時間が流れている。
向こう側にも街があり、
向こう側にも夜があり、
向こう側にも誰かがいて、
こちら側を感じている。
ただ、
お互いを見ることができない。
そんな世界。
不思議だけれど、
もともとこの世界は不思議で囲まれている。
人間は知っていることの中でしか生きようとしない不思議な生き物だから。
そして、向こう側から見れば
パラレルワールドの
向こう側、もう一つの世界の人たちは、僕たちのことを逆に何と呼んでいるのだろう。
僕たちが、向こう側の人を「おばけ」と呼んでいたのと同じように
こちらの一瞬垣間見れた僕のことを、お化けと呼んでいるのかも。
夜道を歩く僕たち。
窓の向こうでテレビを見ている僕たち。
眠っている僕たち。
そう、
「どちらがおばけなのか」
という話になってくる。
僕はおばけなのか?
僕らがあの世に住む住人なのか。
「終わり」
僕たちは人生に「終わり」があると考えている。
生まれて、
生きて、
死ぬ。
それが一つの物語だと。
でも、夜が来たからといって、一日は本当に終わったのだろうか。
夜は、そのまま次の日の朝につながっている。
冬が終われば春が来る。
古い葉が落ちれば、新しい葉が芽吹く。
何かが終わるたび、
別の何かが始まっている。
「終わり」と「始まり」は、
別々のものではなく、
同じ場所を違う方向から見ているだけのようだ。
死も同じなのではないだろうか。
こちら側から見れば「終わり」。
でも、
向こう側から見れば「始まり」。
僕たちは、自分たちの側からしか世界を見ることができないから、
死を「終わり」と呼んでいる。
でもしかし、
その後に爺さんとして生まれる世界があってもおかしくはない。
死んだ後に戻ってきた人はいない
なぜなら、死んでいないからだ。
死後の世界の入口に相当近いところまで行って、戻ってきた体験談を聞くことはある。
でもそれは死ぬ直前の話であって、
死後の世界ではない。
だからあの世が死後の始まりの別ページの世界の可能性もあると思う。
パラレルワールドの一つに死後の世界があるのかもしれないな。
そうだとしたら、
死ねないじゃん。